◆魂の目覚めとは   ◆大いなる愛(内在の愛)の光によって魂は目覚める


人間は心臓が停止すると魂は抜け出していきますが、睡眠をとっている時も首の後ろあたりの出入り口から、魂は抜け幽界に戻ります。

魂とは心の中間層にいて、地上界にいる人の魂は、地上界と幽界(死後の世界)を行き来している存在です。 


亡くなった人は幽界に帰っていきますが、空の上だけではなく、この地上界ともかぶっています。
波長が違うので地上界からは見えませんが、幽界からは地上界は丸見えです。
しかし幽界に帰ると地上界で生活していた事は記憶から消えていきます。

 

幽界へ帰る前に、記憶があるのは四十九日までですので、その間にお世話になった方々へご挨拶に回ったりしますが来ている事に気付く人は少ないです。

 

次第に記憶が薄れていき意識が切り替わっていくので、地上界を見ても何のことか分からなくなるのです。
中には記憶している人もまれに居ますが、地上界の人も過去世や幽界にいた時の事を覚えていないのと同じ事です。

 

幽界は、感情界の世界で上層・中層・下層と分かれその中でまた数えきれないほどの階層に分かれています。
自分が生きていたときの想念にあった階層に戻っていきます。
時空はほとんどなく、瞬時に移動もでき、姿形を変えることができます。

 

幽界では指導霊を希望すれば、地上界の人間に生活指導霊として付くことが出来るので、家族だったおじいさんやおばあさんが付くこともあります。また指導霊は一人や二人ではなく複数付いています。


また指導霊も人間と一緒に学んでいる場合もあります。
霊性が上がるにつれ、指導霊も霊性の高い指導霊へと交代していきます。その時生活指導霊も希望すれば一緒に学んでいけます。

 

幽界の世界では上の階層から下の階層は見る事が出来ますが、自分より波動の高い階層は見る事が出来ませんし、会う事もありません。しかしこの地上界では高い霊性も低い霊性も一緒に学ぶ事ができます。

 

過去世で難行苦行した人は、第一チャクラのエーテルで覆われている箇所が薄くなり、幽界とチャネリングができ、誰々の霊が見える等と言う人や、また幽界には神に成りすまして、地上界からのチャネリングに対し、ハイヤーセルフとか何々観音等とか名乗って悪戯(いたずら)している魂もいます。

 

世界中の人口が驚異的に増え、今この時代に真理が解かれるのを魂達は知っており、我先にと勇んで降りて来ました。
残念な事に本来の目的をすっかり忘れ、人間の自我意識にとらわれ様々な夢を抱き、現象界の夢にほんろうされています。

 

その夢を実現にする為に使われているのは、神の創造原理のエネルギーです。
神のエネルギーを人間という想いのフィルターを通して使っているのです。

何かを想ったり何かを行動するとき全て内在の神が人を通して働いるからです。


地上界にいる時は私は人間という自我意識が優先権を持っている為に、魂達も眠っている状態になり真理の学びが出来なく魂が迷惑をこうむっています。

 

◆カルマの法則

カルマとは地上界で生活していた時に、自我意識状態で創り出した想念の事です。

人間という個を意識した分離のエネルギーを使った結果、個と個の争いなどでカルマが積み上げられ、カルマの克服の為に輪廻転生を繰り返しています。

 

今世で何も悪いことはしていないのに、何故こんなに辛い目にあうのだろうと、不満に思っている人も多いと思います。

前世か過去世それぞれ人によって異なりますが、自分が発した想念は必ず発信元(自分)に帰ってきます。

それはマイナス的な事だけではなくプラス的な事でも同じ事であります。

 

昔の人は子供が悪い事をしていると、お天道様(おてんとうさま)がちゃんと見ているよと言って悪い行いをしない様にさとしていましたが、この事の本当の意味は心の中にいる内在の神が人の目を通して全てを観ており、全ての行いを知っているという事です。

内在の神と人とは表裏一体の関係になっています。

 

いい人ぶっている人も心の深いところでは計算尽くしで 人から良く思われたいと、いい人アピールしていますが この事も善悪という判断によるもので、それは百八の煩悩からくる偽善の心となります。
この事を理解し心の底から正していく事です。

 

また犯罪者は成したことの重大さに気付き、反省し改心する場合がありますので、そこに大きな学びと成長があります。

 

良い思いも悪い思いも、人間という意識の想いの中で発した事はあまり大差はなく、全てカルマと成って戻ってきます。
今生に限らず来世、さ来世になる場合もあります。

 

幽界と地上界を行ったり来たり、数多くの輪廻転生を繰り返してきましたが、今の時代マイナスカルマの刈り取りより、マイナスカルマを上乗せする人が多く、心や魂を汚して幽界に帰る人も多くカルマを克服する事は容易な事ではありません。

 

過去から現在に至るまで自分の成した行い 想いは、全て一人一人の深層意識に記憶されています。

死んだあと一生分の生き様を一瞬にして観るフラッシュバックもそこのレコードの記憶を観るのです。

 

過去に人助けした経験のある人は今生困っている時、過去世で借りのある人が恩返しの様に手助けをしてくれます。
この様にプラス的カルマもありますがマイナス的カルマもあります。

 

人をだましたり、裏切ったりひどい目に合わせた場合、相手をどれだけ傷つけ苦しめたのか今度は逆の立場になって体験します。
ここで学ばなければならないのです。
自分が成した行い想いに対して反省しなければならないのですが、相手に対して怒りや悪口へと変わってしまい、カルマの上乗せとなり益々心が汚れていく結果となります。

 

意識においては、一体となって唐草模様のように繋がっているので、人呪わば穴二つという言葉があるように、人に成したことは自分に成したという事を知る必要があります。

ここで心の在り方と心の管理が大事な事になります。

 

本来は、様々な体験を通して魂を成長させ共に真実の愛に戻る事が目的ですが、地上界では魂の成長を優先するより、人間の自由意志による思考や行動が魂より優先権を持っています。

 

その為、魂もすっかり眠った状態にさせられ自分勝手に好き放題に生きる事もできますが、その生き方次第で心を極端に汚すことになり魂にとっては大迷惑の結果となります。

 

カルマを克服しようとしても、内在の神の力を、人間や魂としての想いで使っている為、カルマの解消が出来ないのです。

カルマの鎖を断ち切るには、人間という自我意識の呪縛を解き放ち、心に内なる神の光を持ってくる以外方法はないのです。
魂に愛の光が入りこの光によって魂が目覚め始めていくのです。

また霊性波動を上げていく事で内なる神、内在の愛により心が愛に満たされ癒されていきます。

 

人間という自我の意識状態でいくら努力しても、光は出てきませんので魂が眼覚めることはないのです。

魂を目覚めさせるには自身の意識を真我意識状態へと切り替え、魂に光を持ってくる以外に方法はないのです。

心の中心に内在されている内なる神の光によって魂は目覚めるのです。

 

地上界にいる自分が真理を理解した分だけ魂に伝わり、魂がその事を待ち続けている為、喜びに震えます。

また睡眠中など、魂の世界で学んで得た真理は自分の元に戻ってきます。
自分にとっても魂にとっても共に成長し学び合う相乗効果により理解力も増し、やがては魂が目覚め悟りへと繋がっていきます。

 

魂が目覚めれば自ずと神の世界と繋がり真実の我を知ることが悟りという事です。

 

私もこの世で色々な試練がありそれを克服する為に生きていると思っていたのですが、堂々巡りで新しいカルマの種を蒔いている事に気付き自我意識では不可能だと思い知りました。

 

内在の愛(内なる神)は光でもありますので、心に光を持ってくれば闇(カルマ)は消えていきます。

心に光があらわれ、カルマを焼いてくれる事を荼毘(だび)といいます。

 

何万回もの輪廻転生で膨大な量のカルマの為、今でも荼毘が続いていますが、これは内なる神が行なってくれています。

光が現れれば闇は消えていきます。闇が消えていけば魂に光が入り目覚めていくことになります。

 

◆悟りへの内観(瞑想)について

昔の悟り方では地球上のエネルギー波動が低かった為、内観瞑想で得たエネルギーが地球にアースされ、流れ出るのを防ぐため毛皮の敷物の上で瞑想をしていたという事です。

 

また俗世間の影響を受けない為に洞窟にこもって一心集中し追究していた様です。
しかし現代ではその時の地球の波動とは違い、洞窟にこもる必要はなく生活の中で悟っていくことが可能と成ります。

 

内観 瞑想は日常で無意識的に神と想えるようにする、神を知る一つの手段でもあり、また神(愛のエネルギー)には姿形がないので、座禅を組む様な形をとる必要もありません。

 

内観すると愛に満たされ心地よくなってくる人が多いのですが、それは悟りとしての入口のところで愛のエネルギーに酔っている様な状態ですので、より深く追及していく内観が求められます。

 

より深くからの内観をするには内なる神と繋り内側からの教えが必要となってきます。

真の内観指導も内側にあります。

 

神のエネルギーは電気的エネルギーであって、その強烈で膨大なエネルギーに耐え抜いていかなければ成りません。

神の国はどこまでも深く、また深くなればなるほどエネルギーは増し、より強烈に成っていき心も体も電気的エネルギーに耐え抜いていく事がより深い悟りへと繋がっていきます。

 

それぞれの使命によって到達地点の深さは違いますが、到達地点は深く深くより深いところにあります。

魂を目覚めさせ内なる神と融合する事で、神と一体であることを深くから実感し本当の我を知ることが悟りと成ります。

人生や魂も卒業となり、事成れりです。